ステブストン編。はじめます




ここで日系カナダ人の話のおさらいをします。
祖母の口伝であり思い込みがある場合もありますので、どこまでが正確なのかは検証していく必要があります。


大正時代に数多くの日系人がカナダに渡航しました。
その多くは英語が喋れない世代だったので、日系人には庭師か鉄道工夫、道路工事夫などの仕事しかありませんでした。そこで私の曽祖父にあたる世代が日本から資金を調達して、カナダのサケマス漁と日本への缶詰輸出を始めることになります。それは国策としても重要な位置づけをされる事業でした。


日本向け缶詰工場が操業を始めると、日本人は漁師としての雇用を確保され、ステブストンが、そのベース基地としての役割を持っていきます。
その結果ここに日本人コミュニティが誕生し、私の曽祖父はそこのマイヤーとなったようです。行政区が異なるので、町長といえるのか、自治会長といえるのかは調べてみたがよくわかりません。

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その日本人の外来人の地位的向上を好ましく思わない人々がいます。白人至上主義にもえる白人たちでした。
ステブストンは風の強い街なので、何度も大火事が発生しています。1912年、1922年にも大火事が起きています。
かれらは、日系人のタウンに放火をします。
さらには火事から持ち出した家財を火事場泥棒で窃盗を始めます。


ただここでカナダの良心といえるものは、インディアンでした。かれらインディアンは社会的差別に常に晒されていたので、加害者たちから日本人を守るという強い意志をもってくれました。インディアンは家財を奪われ、身ぐるみはがれていた日系人のために暖かい毛布とスープを用意してくれたそうです。


こうして勢力を失った日本人は帰国するものとカナダで再起を図るものに分かれていきます。帰国したものには戦争の悲劇が(と本には書いてあるが)実際にはそんなことは無くて、今までの外貨を稼ぎ国富の貢献を行った者たちということで格別の計らいは有ったようです。むしろ残留した者たちはカナダと日本が戦争に入ると、戦時特別法の処置でアルバータ州(今のカルガリのある所)の農場や、身の回りの物一つだけでスロカンバレーの強制収容所に送られて辛酸な暮らしをすることになります。

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現在では日系人も元の生活に戻り、カナダ全体、バンクーバー全体に分散して暮らすようになっています。ステブストンには現在も日本人コミュニティーは残っているようですが、それはリトルトーキョーのような日本人町ではなく、日系1世2世の老人会のようなものです。


こうした話の裏付けを取るために、ステブストンの博物館を訪れます。しかし休館日。というよりシーズンオフなのでやってない状態。

01_2072stvmsum.jpg


後で調べてみると、ここではなくてバーナビーに日系人の博物館「NIKKEI NATIONAL MUSEUM & CULTURAL CENTRE」があるので、そちらの方が詳しかったようです。
http://centre.nikkeiplace.org/
次回行ってみます。



JIMMY

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