風姿花伝/世阿弥元清



今日は芸術の神髄とも云う話をしてみます。


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[風姿花伝]

 そもそも、風姿花伝の条々、おほかた外見のはばかり、子孫の庭訓のため注すといへども、ただ望むところの本意とは、当世この道のともがらを見るに、芸の嗜みは疎かにて、非道のみ行じ、たまたま当芸にいたる時も、ただ一夕の戯笑、一旦の名利に染みて、源を忘れて流れを失ふこと、道すでに廃る時節かと、これを嘆くのみなり。
 しかれば、道を嗜み芸を重んずるところ、私なくば、などかその徳を得ざらん。
 ことさら、この芸、その風を継ぐといへども、自力より出ずる振舞ひあれば、語にもおよびがたし。その風を得て、心より心に伝はる花なれば、風姿花伝と名づく。
     -風姿花伝/世阿弥元清


この書の意味は、「花」すなわち能舞台の美しさについて述べた奥義です。見る人が心に感じいるのが「花」なのであって、心から心へ「花」は伝わるものであると言っています。
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世阿弥のいう理想的な「花」としては、少年の可憐さや貴婦人の優雅さに代表される「幽玄」の美があり、幽玄を深化させたところに「妙なる花」などの段階があるとするものです。

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[小面]
この「花」の求道というのは、能舞台にとどまることなく、すべて心が感じいる所作、美術であれ音楽であれ詩歌であれ、すべてに共通するものではないでしょうか。

美術は解釈するものでもなく、音楽も解釈するものでもありません。ブラームスのピアノ協奏曲が果たして何を表現化したものであるとかなどどうでもいいことであり、そこに「花」を感じたかどうか、だけでよいのではないかと思うのです。

それではどうやって「花」を見せたらいいかという技術論になります。

まづ、おほかた、稽古・ ものまねの条々にくはしくみえたり。真の花は、咲く道理も、散る道理も、人のままなるべし。
まづ、七歳よりこのかた、年 来の稽古の条々、物まねの品々を、よくよく心中にあてて、分かちおぼえて、能をつくし、工夫を究めて後、この 花を失せぬところを知るべし。
されば、花を知らんと思はば、まづ種 を知るべし。花は心、種はわざなるべし。



感動を与える作品(花)にするには、テクニック(種)を磨きなさい。様々な稽古を重ね、物まねも心底理解して数々こなし、技術を磨き技能を尽くしなさい。初めは物まねを極めてそれが種になると述べています。

オリジナリティの尊重ということも大事ではありますが、それは技術を磨きあげてからの話です。
独創性と自己満足は表裏一体、むしろ自己満足の方が勝っているでしょう。
ピカソのキュビズムにおいても、青の時代のように古典からも、アフリカ彫刻のプリミティヴアートからも吸収した表現としてのキュビズムなのであって、最初からキュビズムでは単なるアナーキーにしかならず、自己満足で終わってしまいます。

コンゴ骨董品ピグミー面 (1)
[プリミティヴアート]

逆論すれば、真似が悪いわけではなく、真似から発展して感動を与えられるものを作ることができない、ただの物真似に終わることが非道なのです。

これは能狂言に限らず、心から心へと伝わり、心にさざ波と安らぎを与えることをなりわいとするすべての芸術において、共通の作法とでもいうべきものだと思います。



JIMMY

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