老後をどう生きてますか?



仕事一筋にまじめに頑張ってきて、定年を迎えたオジサンは、それからどうやって残りの人生を過ごしますか?
厚生労働省の統計によると、現在60歳の男性の平均余命は83歳ということです。
60歳で定年を迎えた場合は残り23年、65歳で定年なら残り18年は何かをして過ごさなくてはいけない。

残り人生を23年として、もう一回の人生が送れるという人生設計も考えられるし、あと23年も暮らすのは大変だとネガティブにとらえる人もいるでしょう。

ある保険会社の調査によると、老後における興味としては
・旅行22%
・スポーツ11%
・楽器演奏10%
・手芸・工作9%
・絵画イラスト8%
・園芸・ガーデニング5%
・インターネット4%
となっていました。

定年を迎えたから、海外旅行だ、ゴルフだ、庭いじりだ、ブログ更新だ、というのも差し当たりは考えられますが、それもお金が続くまでの話であり、そうそう20年も続けられるとは思えません。
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そこで、タテ軸に[社会にできること]、ヨコ軸に[自分の実行できること]をプロットして考えてみます。

[社会にできること]は、社会におけるニーズや他者からの依頼度でしょう。
[自分の実行できること]は、会社勤めでのスキルや長年培ってきたノウハウでもかまいません。

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ここで、ポイントがAにある人は、例えばJICAなどで定年後に海外での技術指導に当たる方や、海外の現地子会社へ出向して会社の指導に当たるという場合が該当します。そういう人は特に老後の心配などは無いでしょう。

ポイントがBにある人は、例えば海外の現地子会社に依頼されて赴任したものの英語が苦手とか、スキルといっても自分一人では何もできないという場合でしょう。この場合、頑張って苦手な部分を克服することを人生の目標にすればスキルアップも可能ですが、苦手なまま自分に頑張らせる気も無ければそのまま撃沈していくでしょう。メンドウなことに自分にできもしない事を出来ると錯覚したままです。インプットはあるのですが、インプットだけに終わっています。まさに耳年増状態ですから、まっ先に総スカンされてしまうかもしれません。

ポイントがCにある人は、スキルは高いものを持っているにかかわらず社会とのかかわりを自ら断っているような場合です。昔の例で言うとAが武道を極める事で老後は将軍家の武道の指導に当たった柳生宗矩のような人とすると、Cは宮本武蔵のような人になるでしょうか。
ただ最終的には武蔵も熊本細川家から300石のオファーがあって老後は武道と芸術指導にあたっていますので、Aに移行しています。

ポイントがDにある人は、明治の初めの武士のあきんど状態です。武士というのは主家に奉公していただけで社会にインターフェイスを持っていると錯覚していたのですが、主家が消えると自分にできるのは人斬りだけだったという事が分ったということです。そこで慌てて商人の真似ごとを初めてもうまくいくはずもなく、投資は尽く失敗して破産してしまう事になりかねません。
会社は法人として社会とは深く関わりますが、リーマンははたして社会とのインターフェイスは持ち合わせているのでしょうか。これは職務内容やスキルによって一概に否定はできないのですが、社会性が希薄であるかもしれないという意識は持っていた方がいいと思います。
自分は元○○部長だったとか、肩書きだけで自慢したかっただけの人は消えていくことになるでしょう。
実は、そうした真実をうすうす分っているだけに、今の仕事から離れることができずに退職後も嘱託として仕事を継続してしまい、周囲からは働かないオジサンが会社にだらだらと居座っているという冷たい視線を浴びてしまうというのが厳しい現実です。
会社を退職しても、次のステップが見えずに立ち止まったままの人にとって会社の仕事中心の生活から、成熟した人生への切り換えが求められているともいえます。
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それではどうやって残り20有余年を過ごしますか。
提案の一つとして、タイで暮らしてみたらどうでしょう。タイでなくてもアフリカでも欧州でもかまいませんが、治安とか食文化、物価の面では最優等生だと思います。
タイで暮らすことで、まず手持ちの資金価値は約3倍になります。つまり物価が平均して1/3なので、退職金が1000万あったとしたら、3000万の価値になるという事です。
これだけでも日本ではイヤイヤ金のために働かざるをえないという束縛から解放されます。

次にタイ人のコミュニティに入ることで相互に知識の共有と補完ができます。ただ、最初からタイ人に日本の技術を指導に来たんだというような上から目線では、ただの金をバラ巻きに来たオヤジにしか見られません。
相互の補完ですから、タイ人にタイの食文化や生活の知恵を教わり、その上で日本の文化も問われれば答えますという姿勢が大切です。

そうして築いていったコミュニティの中で、自分に欠けているスキルがあればそれを指導してくれる知り合いを紹介するということで、人材ネットワークは拡大していきます。
先ほどは、会社の中で肩書きだけではスキルにならないという話をいたしましたが、肩書きは威張るためのものではなく、人的ネットワークというリソースと考えれば、それもまたスキルの一つでしょう。

「アフリカに大学をつくったサムライたち」という本の中で定年を迎えた日本人がケニアにジョモ・ケニヤッタ農工大学をつくり、その卒業生たちがケニアの農業及び工業開発の振興に貢献していくという話が述べられています。

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技術指導というものは、教えた、教えられた、ではなくて学ぶ事の出来る人材をつくり、そのネットワークを構築できるかどうかに尽きると思うのですが。いかがでしょうか。


JIMMY

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出来る方と難しい方と

興味深く読ませて頂きました。

個人的な意見ですが、
Jimmyさんのご提案はA、Cタイプの方は可能でしょうが、
B,Dタイプの方は難しいと思います。

実は私、老後に外国生活を勧めることに
「向き不向きがあるのに対象を広げすぎ」だと違和感があります。

外国生活に馴染めないタイプの方がタイに来て、
タイのことを悪く言うのが悲しいのです。
私の家族はタイ人なので。
ここ数ヶ月その手の方からのコンタクトが多く意気消沈気味なので、
強くそう思います。

海外生活を楽しまれている方ならマイペンライなんですが。

海外暮らし さんコメントありがとうございます

確かにおっしゃる通りに馴染める方と馴染めない方がいると思います。

タイの暮らしや人々の考え方が自分には合わない、これはタイが悪いのだと悪く言ってる人がいます。
しかしその方が日本の暮らしにぴったり合っているかというと、そうでもない。
日本にいればいたで、アベノミクスのせいで自分は惨めだと呪い、アメリカではこんなグローバリズムの中では自分の良い面を出せないと怒りをぶちまける。
馴染めないなら馴染めないままで苦労や工夫を重ねていけばいいのですが、馴染めないのが他人のせいと信じているので自分を振り返り見ることができない。
そういう人は逆にタイに初駐在する方をみると、自分はタイのエキスパートで何でもできる、どの店も行った事があると自慢を始めてしまいます。
悪口を言う事で自分を正統化しているのだと思います。

でもまあ、外国暮らしにも田舎暮らしにも向き不向きはありますね。

No title

その通りなんですよね。

自分の家族がタイ人なので、
その手の方がタイに来てタイの悪口言うのが残念です。

海外暮らし さんコメントありがとうございます

> 自分の家族がタイ人なので、
> その手の方がタイに来てタイの悪口言うのが残念です。

まあ、でもタイ人の家族がいなくてもタイの悪口を言う人にはひきますよ。
「運転が乱暴で道を渡りにくい」とか、「バスの運転が乱暴」とかまではウンウンと、うなづきますが、「だからタイ人は・・・」と言われると、そこ関係ないし、上から目線だし、日本だって危ない奴は危ないし、と反論してしまいます。
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